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土(「ダブリン市民」より) ジョイス(1882―1941)

ジョイス

   土(「ダブリン市民」より)

 ジョイス(1882―1941)

マライアの嬉しさといったら! 彼女は小さな寝室にはいり、明日の朝ミサがあるのを思いだして、目覚し時計の針を七時から六時に変えた。それから仕事着のスカートと室内用の深靴をぬぎ、いちばん上等なスカートをベッドにひろげ、小さなよそゆきの深靴をベッドの脚もとにおいた。ブラウスも着がえた。彼女は鏡のまえに立って、若い娘の頃、日曜日の朝のミサにはいつもよそゆきを着たのを思い、かつてはよく着飾った、ちいさな体を古風な愛情をこめてながめた。年はとったけれど、好ましくて、きれいで、こじんまりした体だ。
 外に出ると、通りは雨に光っていた。古い茶色の雨外套を持っていたのが嬉しかった。電車は満員だったので、車の端のちいさな丸椅子に、乗客とむかいあって、爪先がどうやら床にとどくかっこうで坐らねばならなかった。彼女は心のなかでこれからの買物の段取りをきめ、人の世話にならずに自分で使えるお金を持っているほうがずっといいと思った。楽しい夜になるといいけれど。それは楽しい夜に成るにきまっている。でも、アルフィーとジョウが仲たがいしたのは、ほんとに残念だったと思わずにいられない。いまはしょっちゅう喧嘩しているけれど、いっしょにいた子供のころは大の仲よしだったのに。でも人生ってそんなものだわ。

マライアは真赤になり、ちいさな、ふるえる声でうたいだした。彼女は《夢に見き》をうたった。第二節にくると、また繰りかえした。

  夢に見き、大理石の館にありて、
   家臣奴婢、かたわらにひかえいぬ。
  わが身こそ、館につどう人々の
   望みのしるし、誇りのしるし。

  数うるにいとまなき富を持ちにき、
   気高くもふるびし名を誇りき。
  されどまた、わが心限りなく慰みぬ、
   夢にてもなれのまこと変りなければ。

 でも、まちがいを口にするものはいなかった。彼女がうたいおわると、ジョウは心から感動した。だれがなんと言おうと、昔ほどいい時代はなかったし、いまは亡き、なつかしいバルフ(十九世紀ダブリンのオペラ作曲家)にまさる音楽もない、と彼は言った。彼の眼はすっかり涙にくもって、探しているものを見つけられなかった。しまいには、栓ぬきはどこにあるのか教えてくれ、と妻にたずねなければならなかった。
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